『現代語訳 論語と算盤』渋沢栄一(訳=守屋淳):新一万円札のあの人は誰?経済と道徳の両輪で近代日本を作った男!

だいず
前回は、紙幣の肖像画でおなじみの福沢諭吉の著書、『学問のすすめ』を紹介したよね。
きなこ
誰にでも学ぶ権利があって、学問を深めることは自由につながるっていう話だったね!

『現代語訳 学問のすすめ』福澤諭吉(訳=齋藤孝):「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の意外な続きとは!?

2019-04-17
だいず
そうだね。じゃあ、新しく一万円札の肖像画になる人物、渋沢栄一について聞いたことはあるかな?
きなこ
うーん、ぜんぜん知らないよ!
ゆば
ふっふっふ…オイラ聞いたことあるぜ。中日ドラゴンズのスーパールーキー、根尾昂さんの愛読書として紹介されてた『論語と算盤』を書いた人だ!
だいず
おお!よく覚えてるねゆばくん!
厳密に言うと、栄一が書いたわけじゃないんだ。栄一が数多くの講演会で語ってきたことを書き起こしたものがもとになっているよ。
きなこ
すごーい!で、どんな人なの?
ゆば
……ぜんぜん知らない!
きなこ
ってオイ!
知らない人が多いのに、なんであの人が一万円札になるんだろ?
だいず
まぁ教科書で習わないから、多くの人が知らないのも無理はない。
けど、『論語と算盤』を読めば、渋沢栄一がどれほどすごい人物なのかがわかるよ!近代日本の経済発展に、ビックリするくらい貢献しているんだ!

 

 

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日本の資本主義をつくった男、渋沢栄一

日本実業界の父が、生涯を通じて貫いた経営哲学とはなにか。
「利潤と道徳を調和させる」という、経済人がなすべき道を示した『論語と算盤』は、すべての日本人が帰るべき原点である。 明治期に資本主義の本質を見抜き、約四百七十社もの会社設立を成功させた彼の言葉は、指針の失われた現代にこそ響く。 経営、労働、人材育成の核心をつく経営哲学は色あせず、未来を生きる知恵に満ちている。

Amazon紹介文より

ゆば
470社もの会社設立!?
きなこ
ものすごい量!だから「日本実業界の父」なの?
だいず
それだけにとどまらない!栄一はビジネスで得た利益をもとに500以上の慈善事業にも関わっていて、ノーベル平和賞候補にもなったんだ。
きなこ
わーカッコいい!稼いだお金を世の中のために使っていたんだ!
だいず
さらに、栄一は今から100年以上前に「資本主義の問題点」を見抜き、それを食い止めるシステムを社会の中に組み込もうとしていたんだ。
ゆば
資本主義の問題点かぁ……うーん、お金を稼ぎたいっていう欲求が暴走することかな?
だいず
その通り!ゆばくん冴えてるね!
実際に、バブル経済の崩壊、サブプライムローン問題など、栄一の危惧していた「資本主義の暴走」は現実になってしまった。
栄一は、そうした欲求の暴走に対する抑止力として「道徳」が必要不可欠だと考え、孔子の古典『論語』を基盤にして多くの講演活動を行った。『論語と算盤』は、それらの講演内容を書き起こしたものが元になっているんだ。
つまり、社会を発展させるビジネスの象徴が「算盤」で、それを適切に運用するための道徳の象徴が「論語」というわけだね。
きなこ
なるほど!この本も読みやすいように現代語訳なんだね。
だいず
そうなんだ。前書きを読むだけでも、今の日本にどれだけ栄一の影響があるのかわかると思うよ!

会社に出勤するため、いつも通りJRに乗って日経新聞をひらいた。ふと目をやると、社内つり広告にサッポロビールのうまそうな新製品の宣伝がある。帰りに買って帰ろうと思いながら、お金を下ろすのを忘れていたことに気づき、会社近くのみずほ銀行のATMに寄る。
そういえばもう年末、クリスマスは帝国ホテルで過ごして、初詣は明治神宮にでも行くかなぁ。その前に聖路加病院に入院している祖父のお見舞いにも行かなくっちゃ……。
どこにでも転がっていそうな日常の心象風景のひとコマだが、驚くなかれ、ここに出てくる固有名詞すべての設立に関わった人物が、本書の口述者である渋沢栄一なのだ。

”はじめに”より

ゆば
これ全部に関わってんの!?
きなこ
知らないうちにめっちゃお世話になってるよ!
だいず
これ以外にも、電力、繊維、製紙、鉄鋼、貿易、教育、美術などなど……栄一が日本の発展に寄与した功績は計り知れないくらいだ!
ではいよいよ、『論語』を元にした栄一の経営哲学をのぞいていこうか!

 

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「智・情・意」のバランスが優れた人格を作る!

だいず
栄一いわく、優れた人格をつくるためには必要なものがある。それはいわゆる「常識」であり、「智・情・意」の三つから構成されているんだ。

およそ人として社会で生きていくとき、常識はどんな地位にいても必要であり、なくてはならないものである。では、常識とはどのようなものなのだろう。わたしは、次のように解釈する。
まず、何かをするときに極端に走らず、頑固でもなく、善悪を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、言葉や行動がすべて中庸にかなうものこそ、常識なのだ。これは学術的に解釈すれば、
「智、情、意(知恵、情愛、意志)」の三つがそれぞれバランスを保って、均一に成長したものが完全な常識であろうと考える。さらに言葉を換えるなら、ごく一般的な人情に通じて、世間の考え方を理解し、物事をうまく処理できる能力が、常識に他ならない。

”第3章 常識と習慣”より

きなこ
ふむふむ、3つのバランスが大事なんだね。
ゆば
このバランスが崩れてる人もいるね。めちゃくちゃ頭良くってもイヤミだったり、理想ばっかり語って行動しなかったり。そうすると人望もなくなっちゃう。
だいず
そう、大きな影響を与える人物は、このバランスが高いレベルで調和していると思うんだ。
だから栄一は、頭でっかちで実践的な行動を取らない人たちを痛烈に批判している。

世間の人たちはよく、
「知識を積まないといけない」
「時勢を読み解かなければならない」
という。なるほど、これは必要なことだろう。時勢を知り、よりよい選択や決断をするためには、知識を積むこと、つまり学問を修める必要がある。
とはいっても、知識がどんなに十分あっても、これを活用しなければ何の役にも立たない。これを活用するというのは、勉強したことを実践に結びつけることだ。こちらの方も学んでいかないと、どんなにたくさんの知識があっても、まったく活用できなくなる。しかも、実践に結び付けるための学びは、一度やれば済むというものではない。生涯学んで、はじめて満足できるレベルとなるのだ。
結局、人が世間で成功するために必要な要素として、知識や学問が必要なことはもちろんなのだが、これだけで成功できると思うのは誤解でしかないのだ。『論語』には、
「人々がいて、郷土のお社があるような環境であれば、現実から十分に学ぶことができます。どうして書物を読むことだけが、学ぶといえるのでしょう」
との一説がある。これは孔子の弟子の、子路(しろ)の言葉だ。すると孔子は、
「なるほど口ばかりの奴は嫌いだよ」
と答えている。この意味は、「口ばかりで、実践できないものはダメだ」ということなのだ。わたしはこの子路の言葉はすばらしいと思っている。机に座って読書をするだけを学問だと思うのは、まったく間違っている。

”第3章 常識と習慣”より

きなこ
なるほど。どんなにいっぱい知識があっても、それを実践しなかったら知らないのと同じだね。
ゆば
しかも、知識は身につければそれでおしまいじゃなくて、一生更新し続けていくものなんだな。
だいず
そうだね。こんな風に、『論語』の教えはシンプルでありながら、時代にとらわれない人としての原則を示してくれるんだ。
きなこ
日本は『論語』の影響強いもんね。もし栄一さんがヨーロッパで生まれていたら『聖書』とかがベースだったかも!
だいず
その見方はおもしろいね!だけど、じつは栄一はキリスト教についても学んでいて、そのうえで『論語』がもっとも人としての基盤にふさわしいと選んでいるんだ。
ゆば
へー!なんでだろ?
だいず
栄一は「孔子には奇跡がない」と語っている。死んでから蘇ったり、神の啓示を受けたりという神秘性を持たない、言ってしまえば思考がとても深いというだけの一般人だ。
だからこそ、どんな人にでも実践できるエッセンスがつまっているってことだね。
きなこ
なるほどー!だから『論語』が栄一さんのベースなんだね。

 

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本当に「お金儲け」は「道徳」に反するのか?

だいず
「ビジネスでお金を儲けること」と、「人として徳を積むこと」の二つは、しばしば相反することのように語られる。
きなこ
あっ、それちょっと思った!お金儲けって道徳とは真逆じゃない?
ゆば
うーん、そうかなぁ?人の役に立った結果としてお金がもらえるんだから、悪いことだとは思わないけどな。
だいず
当時の学者たちの間では、きなこちゃん寄りの考えが多かったのかもしれない。栄一はこう語っている。

今まで孔子の教えを信ずる学者が、彼の教えを誤解していたなかでももっとも甚だしいものは、「富と地位」と「経済活動」の二つの考え方であろう。彼らが『論語』を解釈したところによると、「道徳と思いやりの政治を掲げて、世の中を治める」ことと、「経済活動によって富と地位を得る」こととは、火のついた炭と氷のように、一緒にはしておけないものとされている。
では孔子は本当に、
「富と地位を手にした者は、道徳によって世の中に貢献する考えなどない。だから、高い道徳を持った人物になりたければ、金儲けなどしようと思ってはならない」
といった内容を説いていたのだろうか。わたしが二十篇ある『論語』をくまなく探してみても、そんな意味の言葉は一つも発見できなかった。いや、むしろ孔子は経済活動の道について語っているくらいだ。しかしその説き方が、孔子が他でもよくやっているように、半面的なものであったため、学者たちはその全体像を理解することができず、ついには間違った解釈を世の中に伝えるようになってしまったのである。

”第4章 仁義と富貴”より

きなこ
『論語』の中にはそんな教えはなかったんだね。
だいず
なかったというか、『論語』のエピソードは抽象的なものが多いから、しばしば曲解されてしまうこともあるんだ。だけど、栄一はきっぱりとお金儲けと道徳は反するものではないというスタンスをとっている。

例をあげると、『論語』のなかにこんな一説がある。
「人間であるからには、だれでも富や地位のある生活を手に入れたいと思う。だが、まっとうな生き方をして手に入れたものでないなら、しがみつくべきではない。逆に貧賤な生活は、誰しも嫌うところだ。だが、まっとうな生き方をして落ち込んだものでないなら、無理に這い上がろうとしてはならない」
この言葉は、いかにも富や地位を軽視したような内容に思われるが、実は一方の側面だけから解かれたものだ。よくよく考えてみれば、富や地位を軽蔑したようなところは一つもない。あくまで富や地位にのめり込むことを戒められただけなのだ。この一節から、
「孔子は富と地位を嫌っていた」
などと解釈するのは、ひどい間違いだといわなけれなならない。孔子がいいたかったことは、
「道理をともなった富や地位でないのなら、まだ貧賤でいる方がましだ。しかし、もし正しい道理を踏んで富や地位を手にしたのなら、何の問題もない」
という意味なのだ。こう考えると、富や地位を軽蔑し、貧賤を持ち上げたところなどますますなくなってくる。この一節を正しく解釈したいなら、「まっとうな生き方をして手に入れたものでないなら」という箇所に注意するのが何より肝心なのだ。

”第4章 仁義と富貴”より

きなこ
そっか!お金を儲けることそのものが悪いわけじゃないもんね!
だいず
そうなんだ。ここは栄一の哲学の重要なところだ。
人としての道理にしたがって生きることが大事なのであって、その結果はおまけみたいなものということだね。
ゆば
栄一は道徳的に生きた結果、たまたまお金持ちになれたってこと?
だいず
もちろん、その結果は栄一のたゆまぬ努力と実践あればこそだけどね。
目先の結果を追い求めて道徳に背いたことをしてしまえば、それが「資本主義の暴走」に至ってしまう。だから栄一は、経済活動の中心に「道徳」を据えようと生涯講演を続けたんだ。

 

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自分の考えにこだわることは、「自分らしさ」ではない!

だいず
そんな栄一のもとには、しばしば反論が寄せられる。次に引用するところは、「論語に頼って自分磨きなんてしたら、本来の自分らしさが失われてしまう」という意見に対する栄一の考えだ。

まず、「自分を磨くことは、その人らしさの成長を邪魔するのでよくない」というのは、自分を磨くことと、自分を飾り立てることを取り違えているのではないかと思う。
自分を磨くというのは、自分の心を耕し、成長させることだ。言葉でいえば「練習」「研究」「克己」「忍耐」といった熟語の内容をすべてを含み、理想の人物や、立派な人間に近づけるように少しずつ努力することを意味している。だから、自分を磨いたからといって「自分らしさ」が損なわれてしまうようなことはない。人が自分磨きに本当に努力したならば、一日一日とあやまちを直して、よい方向に進んで、理想の人物に近づいていけるのである。
もし自分を磨いたために、「自分らしさ」や「ありのままの自分」が損なわれてしまうというのなら、理想の人物や立派な人物は、人が成長しきった姿ではないことになる。そんなはずがないではないか。自分を磨いたために見せかけだけ立派になったり、逆にいじけてしまったりしたとするなら、それは間違った自分磨きであり、われわれが常に口にする自分磨きとは別のものなのだ。

”第6章 人格と修養”より

ゆば
見せかけの「自分らしさ」は、成長しているわけじゃなくて飾り立ててるだけってことか。
きなこ
これは耳が痛いなぁ。
だいず
耳が痛いと思えるなら、きなこちゃんは自分と違う意見を素直に受け入れることができる、柔軟な心を持っているってことさ!
自分の考えにこだわり続けることは「自分らしさ」じゃないんだ。それは心が傷つくのが怖いために、鎧で身を包んでいるのと一緒だ。
ゆば
自分の考えを変えていくこと、それを怖がっちゃいけないんだな。
だいず
自分を磨いていけば、おのずと形も色も、その輝きまでも変わっていく。その磨いていくためのヤスリこそが「道徳」なんだ。

人は、人としてなすべきことを基準として、自分の人生の筋道を決めていかなければならない。だから、失敗とか成功とかいったものは問題外なのだ。かりに悪運に助けられて成功した人がいようが、善人なのに運が悪くて失敗した人がいようが、それを見て失望したり、悲観したりしなくてもいいのではないかと思う。成功や失敗というのは、結局、心をこめて努力した人の身体に残るカスのようなものなのだ。
現代の人の多くは、ただ成功とか失敗とかいうことだけを眼中に置いて、それよりももっと大切な「天地の道理」を見ていない。彼らは物事の本質をイノチとせず、カスのような金銭や財宝を魂としてしまっている。人は、人としてなすべきことの達成を心がけ、自分の責任を果たして、それに満足していかなければならない。

”第10章 成敗と運命”より

だいず
成功や失敗という結果は、あくまでも残りカスにすぎない。人としての道理に背かずに、人格を磨き続ける姿勢を持っていたいよね。
きなこ
こんな立派な哲学を持ってる人だったんだね!
ゆば
うん、一万円札に選ばれるのも納得だな。
だいず
渋沢栄一なくして今の日本はなかったと思う。もしかしたら、資本主義の暴走によってお金がすべての世界が広がっていたかもしれない。
きなこ
ウチも自分を磨き続けていけるようにがんばる!
ゆば
オイラも!だからオイラの財布の中にいっぱいいっぱい来てください栄一様!
きなこ
こらッ!
だいず
ふふふ。「天地の道理」にしたがってまっとうに生きていれば、栄一はきっと君たちの味方になってくれるはずだよ!

 

 

だいず
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