『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル:時代も国境も超えて、人間が生きる意味を問いかける。

だいず
今日はちょっとテーマが重い。けどぜひ読んでほしい一冊、『夜と霧』を紹介するよ。
きなこ
ロマンチックなタイトルね。恋愛小説かな?
だいず
いや、この本はアウシュヴィッツ強制収容所に収監されたある精神科医の記録なんだ。
ゆば
アウシュヴィッツって聞いたことあるよ…。第二次世界大戦だっけ。
だいず
そう。そして、「夜と霧」というのはユダヤ人を強制収容するためのドイツ軍の作戦名だったんだよ。
ゆば
へー。アウシュヴィッツから生還できた中にたまたま精神科医がいたなんて奇跡だね。
だいず
それが、あながちそうとも言い切れないんだ。フランクルが生還できた背景には、彼自身の人間観が大きくかかわっている。絶望にまみれた塀の中で、フランクルはどうにか希望を持ち続けたんだ。
きなこ
なんだかすでに重苦しいわ…。
だいず
戦争体験の本だから、手を出すのをためらうのもわかる。でも世界中で長く読み継がれているすばらしい一冊なんだ。著者自身の心の変容をつぶさに観察し、人間の弱さ、そして強さを巧みに描いている。
たしかに、胸が痛くなるような描写もある。けれど、いま生きることに苦しみを感じている多くの人にぜひ読んでほしいんだ。きっと世界が変わって見えるから。
ヴィクトール・E・フランクル

 

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『夜と霧』あらすじ

第二次世界大戦の最中。オーストリアの心理学者で精神科医であったヴィクトール・E・フランクルは、ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所の支所へ収容されてしまう。
持ち物、衣服、そして名前もすべて奪われ「119104」となった著者。人間扱いすらされない、おぞましい労働生活が始まる。
フランクルは極限状態の収容所の中で、自分と他の人を観察し続けた。無数の苦しみ、そして心の変容を振り返り、筆者は人間とはどのような存在であるかを見出していく。

 

だいず
本は大きく三段階のつくりになっている。収容されたとき、収容所生活、そして奇跡的に収容所から解放されたその後。それぞれの心の変化を記録しているんだ。
ゆば
収容所の中でフランクルはどうやって状況を記録していたの?
だいず
監視兵にバレないように速記記号を使っていたよ。彼は収容されるときに、大切な論文を没収されるという目にあって、一切の記録は取り上げられると知っていたんだ。

 

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アウシュヴィッツ収容所の体験

だいず
言うまでもないけど、収容されていくときに被収容者たちはとてつもなく大きなショックを受ける。
きなこ
何の罪もないのに、もう生きて帰れない…それどころか人間らしい生活ができなくなるなんて…想像しただけでも気が遠くなりそうだよ。
だいず
そうだね。でも、収容所に到着するころには最初の心の変化が起こるんだ。

精神医学では、いわゆる恩赦妄想という病像が知られている。死刑を宣告された物が処刑の直前に、土壇場で自分は恩赦されるのだ、と空想しはじめるのだ。それと同じで、わたしたちも希望にしがみつき、最後の瞬間まで、事態はそんなに悪くはないだろうと信じた。見ろよ、この被収容者たちを。頬はまるまるとしているし、血色もこんなにいいじゃないか!

「第一段階 収容 アウシュヴィッツ駅」より

ゆば
何とかなるかもしれないって思っちゃうんだね。
だいず
そう。だけどこの健康そうな被収容者たちは、「エリート被収容者」なんだ。
きなこ
よく働く人たちってことかしら?
だいず
その意味合いもあるけど、それよりも監視兵と同じように他の被収容者たちを痛めつけるという意味で「エリート」なんだ。
きなこ
えっ…ひどい!自分と同じ立場の人たちなのに!
だいず
エリート収容者たちは「カポー」と呼ばれている。ここでは、新しく来た被収容者たちから手荷物や貴重品を取り上げる仕事をしているんだ。
ゆば
うーん…。オイラも生き延びられるならカポーのようにふるまうかもしれないなぁ…。
だいず
貨車から降ろされたフランクルたちは収容所へ一列になって歩かされる。
その先で、ひとりの軍人が人差し指でひょいひょいと被収容者たちを左右の道に振り分けていった。
夜になって、友人のゆくえがわからないともらしたフランクルに、長くいる被収容者が残酷すぎる事実を伝える。

「その人はあなたとは別の側に行かされた?」
「そうだ」
「だったらほら、あそこだ」
あそこってどこだ?手が伸びて、数百メートル離れた煙突を指さした。煙突からは数メートルの高さに不気味な炎が吹き出して、渺々(びょうびょう)とひろがるポーランドの暗い空をなめ、まっ黒な煙となって消えていく。あそこがどうしたって?
「あそこからお友だちが天に昇っていってるところだ」
露骨な答えが返ってきた。わたしはまだ事態がのみこめない。けれども時間の問題だ──「手ほどきして」もらったとたん、疑問は氷解した。

「第一段階 収容 最初の選別」より

きなこ
えっ…指でひょいって送られた先で…?
だいず
そう。労働に不向きそうな人はこの段階で殺される。
ゆば
信じられない。
だいず
生かされた被収容者たちは、身に着けているものをすべて脱ぎ、全身の毛をそられて水のシャワーを浴びせられる。そして囚人生活が始まるんだ。
ゆば
フランクルは医者なんだよね。労働は何をさせられたんだろう。
だいず
医者だろうと関係なく、フランクルは土木作業員や鉄道建設現場で重労働をすることになる。ごくわずかな食事だけで。
きなこ
経歴や能力なんてどうでもよくて、本当にただの労働力としか思われていないのね。
だいず
その通り。その仕事ぶりが評価されると褒状がもらえて、それを煙草に交換してもらえるんだけど…。

そんなわけで、わたしは煙草十二本を手に入れたのだが、これは物々交換の元手になった。十二本の煙草はなんと十二杯のスープを意味し、十二杯のスープはさしあたり二週間は餓死の危険から命を守ることを意味した。

(中略)

そのほかのすべてのふつうの被収容者が煙草をたしなむとは、褒状、つまり生命を危険にさらしてよぶんに働いた功績によって手に入れた煙草を、食料と交換することを断念し、生き延びることを断念して捨て鉢になり、人生最後の日々を思いのままに「楽しむ」ということなのだった。仲間が煙草を吸いはじめると、わたしたちは、行き詰ったな、と察した。事実、そういう人は生きつづけられなかった。

「心理学者、強制収容所を体験する」より

きなこ
絶望した人から死んでいくのね…。
ゆば
命をつなぐためには命を削って労働するしかないのか…。そりゃ希望をなくしてヤケになっちゃうよ。
だいず
そして労働中はサディスティックな監視兵に容赦なく殴られる。たとえ子どもであっても。

殴られる精神的苦痛は、わたしたちおとなの囚人だけでなく、懲罰を受けた子どもにとってすら深刻ではない。心の痛み、つまり不正や不条理への憤怒に、殴られた瞬間、人はとことん苦しむのだ。

「第二段階 収容所生活 苦痛」より

だいず
殴られた体の痛みよりも、人間扱いされないという心の痛みの方がずっと苦しいんだ。
きなこ
そんな残酷なことができる人もいるのね…。ウチならすぐ絶望しちゃう。
ゆば
状況次第では誰でも監視兵みたいな感情になっちゃうのかな。オイラはそれが怖いよ。
だいず
二人ともいい視点だと思うよ。あとで出てくる、フランクル自身の人間観にかかわってくる。
ただ、そんな地獄のような生活の中だからこそ、ほんの小さな喜びを見出したときの感動が切実なんだ。

とうてい信じられない光景だろうが、わたしたちは、アウシュヴィッツからバイエルン地方にある収容所に向かう護送車の鉄格子の隙間から、頂が今まさに夕焼けの茜色に照り映えているザルツブルクの山並みを見上げて、顔を輝かせ、うっとりとしていた。わたしたちは、現実には生に終止符を打たれた人間だったのに──あるいはだからこそ──何年ものあいだ目にできなかった美しい自然に魅了されたのだ。

(中略)

わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」

「第二段階 収容所生活 壕の中の瞑想」より

ゆば
そっか…当たり前にあるものが本当はかけがえのないものだったりするんだね。
きなこ
ウチも見落としている小さな幸せがあるのかも。

 

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フランクルの人間観

ゆば
そんな環境でも、フランクルはなんとか希望を持ち続けて生き延びたんだよね。
だいず
そう。彼は心理学者だったから、客観的に自分を見るスキルを持っていたんだ。

おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。生きしのげられないのなら、この苦しみすべてには意味がない、というわけだ。しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。

「第二段階 収容所生活 精神の自由」より

きなこ
ムズカしいけど…苦しみから抜け出すことに意味があるんじゃなくて、苦しみの中でも生きることに意味があるってことかな?
だいず
そんな感じだね。「どうすれば苦しみから抜け出せるか」ではなく、「今なにをすべきなのか、なぜ自分は生きているのか」に焦点を当てることが大事だとフランクルは考えたんだ。
自分の命に課せられた義務を問い続けたからこそ、フランクルは生き延びて実名でこの本を出した。
ゆば
オイラも「どうすれば苦しみから抜け出せるか」にとわられてたかもなぁ。
きなこ
そんな考え方ができたら理想だけど、それができるのは心が強い人だけなんじゃないかなぁ。
だいず
きなこちゃんの思ったことはこの本の核心を突いているよ。フランクルは「人間とはどのような存在であるか」をこう結んでいる。

わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。

「第二段階 収容所生活 収容所監視者の心理」より

きなこ
自分がどんな存在なのかを決めるのは、つねに自分自身ってことね。
ゆば
カッコいいけど、すごくキビしいこと言ってる気がする。
だいず
そう、キビしいね。
だけど大切なのは、強い人と弱い人があらかじめいるわけじゃないってことさ。毅然として生きるか、流されて生きるか、それを決めるのも自分自身だということだとぼくは解釈している。
このへんは、心理学の巨頭フロイトやアドラーが学生時代のフランクルの先生だったことが強く影響しているよ。
きなこ
フランクルは解放後どうなったの?
だいず
この本の体験を元に、ロゴ・セラピーという心理療法の源流をつくったよ。ロゴは「意味」をあらわす言葉で、自分が生きる意味を考えることで心を癒すというセラピーなんだ。
ゆば
生きる意味かぁ。オイラはこの人生で大金持ちになりたいな。
きなこ
露骨ね!
だいず
いや、ゆばくんみたいでいいんだよ。ただ重要なのは、「大金持ちになれなかったら意味がない」じゃなくて、「大金持ちになるために何をするか」や「何のために大金持ちなるのか」に焦点を当てること。そこを考えて深めるのが生きる希望につながるんじゃないかな。
ゆば
なるほど!
きなこ
ウチも生きる意味を考えてみるよ!
だいず
うれしいよ。その視点を持っていることが大切なんだ。

 

ヴィクトール・E・フランクル

 

だいず
ご紹介した本は、フリマアプリメルカリにて販売いたしました。ご購入いただいた方、ありがとうございました!

 

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