『兎の眼』灰谷健次郎:心を伝える「言葉」を獲得する物語

だいず
最近、子どもの虐待や学校でのトラブルのニュースが多いね。
きなこ
なんか悲しいなぁ。
ゆば
教育ってなんだろうね。教育のためなら殴っても蹴ってもいいのか?
だいず
ぼくらはみんな、言葉を持たずに生まれてくる。通じる言葉を持たない相手にメッセージを伝える手段として、暴力に訴えてしまうのを見ると、ぼくはとても悲しくなる。
だから、今日はどうしてもこの本を紹介したいんだ。

 

 

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『兎の眼』あらすじ

大学を出たばかりの新任教師・小谷芙美先生が受け持ったのは、学校では一言も口をきこうとしない一年生・鉄三。決して心を開かない鉄三に打ちのめされる小谷先生だったが、鉄三の祖父・バクじいさんや同僚の「教員ヤクザ」足立先生、そして学校の子どもたちとのふれ合いの中で、鉄三の中に隠された可能性の豊かさに気づいていくのだった……。すべての人の魂に、生涯消えない圧倒的な感動を刻みつける、灰谷健次郎の代表作。

Amazon紹介文より)

だいず
昭和の大阪、ごみ処理所ではたらく人たちの工業団地。そこに鉄三は、バクじいさんと二人で住んでいる。
きなこ
ご両親はいないの?
だいず
船の事故で帰らぬ人になっているんだ。鉄三だけでなく、ごみ処理所の子どもたちは小学校からちょっとうとまれている存在でもある。
そんな小学校の小谷先生のクラスで、ある日突然事件が起こった。

 

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言葉を持たない子ども、臼井鉄三

鉄三のことはハエの話からはじまる。
鉄三の担任は小谷芙美先生といったが、結婚をしてまだ十日しかたっていなかった。大学を出てすぐのことでもあり、鉄三のその仕打ちは小谷先生のどぎもをぬいた。
小谷先生は職員室にかけこんできて、もうれつに吐いた。そして泣いた。
おどろいた教頭先生が、あわてて教室にかけつけてみると、鉄三は白い眼をして、一点をにらみつけていた。まわりで子どもたちがさわいでいた。
鉄三の足もとを見て、教頭先生ははじめ、なにかきれいな果物でも落ちているのかと思った。それから、それをのぞきこんで思わず大声をあげた。
それは、二つにひきさかれたカエルだったのだ。そのカエルはまだひくひく動いていた。ちらばった内臓は赤い花のようだった。
教頭先生はしばらく立ちつくしていたが、こわがって泣いている女の子がいるのに気がつくと、はやくそのカエルを始末しなくてはならないと思った。それで鉄三をおしのけた。すると、かれは左の足でもう一匹のトノサマガエルをふみつぶしていたのである。

「プロローグ」より

きなこ
なに…こわいよ…。
ゆば
ちょっと子どもにしては残酷すぎない?
だいず
そうだね。この場面だけでは、鉄三はただの残酷で危険な子どもにしか思えない。だけど、鉄三の行為には彼なりの理由がある。ただ、彼は人に気持ちを伝える「言葉」を持っていないんだ。
きなこ
しゃべれない、ってこと?
だいず
いや、声が出せないわけじゃない。自分の気持ちを相手に伝えるすべを知らないんだよ。
カエルを殺す行為そのものが、鉄三の怒りを伝える「言葉」なんだ。
今でこそ発達障害や自閉症という概念が知られるようになったけど、この頃はまだそんな言葉を知る人はほとんどいなかった。
ゆば
でも、鉄三はなんでこんなことをしたの?
だいず
鉄三には秘密があった。彼は、家にあるたくさんのビンの中でハエを飼っていたんだ。だけど、クラスメイトがそのハエを、クラスで飼っているカエルの餌にしてしまったんだ。鉄三の大事な友だちだったとは知らずに。
きなこ
は、ハエを飼ってるの!?きたないよ!
だいず
びっくりするよね。でも、ごみ処理所で生まれ育った鉄三にとっては、ハエは唯一の心を許せる存在だったんだよ。
鉄三がハエを飼っていると知った小谷先生は、それをやめさせようと鉄三たちの住むごみ処理所まで説得に向かう。

「鉄ツンに用事か」
功がきいた。ええ、とこたえて、小谷先生は思った。
鉄三とふたりきりで話をするより、この子どもたちと雑談しているようにして、なにげなく話をするほうがいいんじゃないかしら。
「鉄三ちゃんを呼んできてくれる」
純が鉄三を呼びにいった。まっているあいだ、小谷先生は浩二と話をした。
「浩二くん、あなたお風呂きらい」
「きらいや」
「きれいにせんとおヨメさんきてくれへんよ」
「ふふふ……」
「浩二くんは給食のとき、手を洗わんでしょう」
「だって……」
「だってって」
「おれのこと、みんなバイキンバイキンっていうもん」
「だれがそんなことをいうの」
「みんな」
「みんな?先生はしからないの」
「先生はおれの味方とちゃうもん。おれが悪いって。きれいにしないもんが悪いっていうもん」
小谷先生はため息をついた。
「そう。それで浩二くんは手洗いをしないの」
「うん」
「じゃ先生があなたのクラスの人にいったげよか。浩二くんの気持を」
「いらん」
「どうして」
「おれ、ムラノきらいやもん」
そのとき小谷先生は思った。
おれ、コタニきらいやもん、鉄三はそういっている。小谷先生は暗い気持になった。
純につれられて鉄三がきた。あいかわらず心のない人形のようだった。小谷先生の前にきても下を向いたままだ。

「4 悪い日」より

ゆば
小谷先生、自信なくしてるなぁ。
きなこ
でも、鉄三くん以外の子たちには好かれてる感じだね。
だいず
そうだね。小谷先生の熱心さは子どもたちもよく知っていて信頼されていた。
だけど、小谷先生は鉄三にハエを飼うのをやめるように説得しようとして、カッとなった鉄三に突き飛ばされてしまう。
きなこ
えっ、鉄三ひどい!なんですぐ暴力ふるうの?
だいず
これが今の鉄三がもっている「言葉」なんだ。
もしも、鉄三が大人と同じように、いや他の子どもたちと同じくらいに言葉で気持ちを伝えられたなら、こんな手段はとらないかもしれない。
ゆば
うーん…たしかに鉄三が悪いわけじゃないんだろうけど。
だいず
鉄三の気持ちの伝え方はたしかに望ましいものではない。だけど、それは小谷先生が鉄三に伝えられる「言葉」をもっていないということでもある。
小谷先生は、なんとか鉄三とコミュニケーションを図ろうと、ハエのことを一生懸命に調べるようになった。
きなこ
鉄三を見捨てたくないんだね。
だいず
鉄三はハエの生態にはとても詳しい。けれど、図鑑が読めないから名前だけはわからない。小谷先生は、鉄三の家に図鑑をもっていった。

みんなで本とハエをかわるがわるのぞきこんで、九つのハエの名前がわかった。
イエバエ、オオイエバエ、ヒメイエバエ、ケブカクロバエ、キンバエ、ミドリギンバエ、ニクバエ、ノミバエ、ショウジョウバエである。もっともイエバエは飼っていなかったが、いちばん数の多いハエなので、みんなよく知っていた。
一つだけよくわからないハエがあった。数もすくないとみえ、ビンの中にたった六匹しかはいっていない。
暑いのにみんな顔をつきあわせて、あれでもないこれでもない……といいあった。なん回もページをめくった。
そのとき、とつぜん、
「これや」と声がした。
「えっ」
と小谷先生はびっくりして鉄三の顔を見た。
「これや」
と、また鉄三はいった。指さされたところを見ると、ホホグロオビギンバエとかかれてあった。
小谷先生が鉄三の声をきいたのは、それがはじめてであった。

「6 ハエの踊り」より

きなこ
鉄三がしゃべった!
ゆば
ハエを通じて、ちょっと心を開いてくれたのかな?
だいず
そうかもしれないね。小谷先生はうれしくてうれしくてしょうがなかった。
これをきっかけに、小谷先生は放課後に、鉄三の家で読み書きの指導をするようになる。
教材は、ハエの名前だ。
きなこ
小谷先生がんばりすぎじゃない?大丈夫かな?
だいず
小谷先生の熱心さは保護者たちにも伝わっていく。けれど同時に、小谷先生は一部の生徒をえこひいきしていると思われるようにもなっていった。

 

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自分の言葉で、思いをつたえる

だいず
秋になり、小谷先生のクラスにみな子という子が加わった。
養護学校へ入るまでの一か月だけ、という条件で普通学級にやってきた子だ。
ゆば
みな子もちょっと特殊な子なのかな。
だいず
そうだね。座っていられずクラゲのようにふわふわと走り回り、給食は手づかみ。オシッコジャーといって所かまわずおもらしをしてしまう子だった。
だけど、そんなみな子の世話を通じて、クラスの子たちに思いやりが芽生えていくんだ。
きなこ
みんなエラいね!
だいず
とはいえ、そのために授業が中断されることをよく思わない保護者も多い。
ある日、小谷先生は校長室まで押しかけた保護者たちに、みな子ちゃんの扱いについての説明を求められる。

小谷先生は思った。もちろん返事はできる。しかし、わたしの考えをまちがいなく伝えようとすれば、一時間や二時間の話し合いではむりだ、万一それができたとしても、納得してもらえるかどうかわからない。けっきょく小谷先生はかんたんなことしかいえなかった。
「みな子ちゃんをひきとったのは、みな子ちゃんをわたしたちの仲間にすることで、この学級がよくなると思ったからです」
「じょうだんじゃありませんよ。あなた、気はたしかですか。一日中、勉強もなにもできないって、うちの子どもはいっていますよ」
うしろの方でヒステリックにさけんだ親があった。小谷先生はひどいことをいうと思ったけれど、だまっていた。
「先生の趣味でなにをなさるのもかってですが、そのために、ほかのものにめいわくがかかるとしたら、話は重大ですわよ、ね、みなさん」
小谷先生も若い。だんだんくやしさがこみあげてきた。

(中略)

なんだか小谷先生をつるしあげる会になっていくようだった。
たまりかねて教頭先生はいった。
「どうです先生、この問題、もういちど考え直しては……」
小谷先生はまっすぐ顔を教頭先生に向けた。
「わたし、みな子ちゃんを手ばなしません」
「しかし……」淳一の母がいった。
「先生はいったい、だれのためにそんなにみな子ちゃんにこだわるのですか」
「わたしのためです」
小谷先生は、きっぱりいった。母親たちはざわめいた。
「おどろきましたわ。学校の先生は子どものために仕事をなさるのではありませんの」
「わたしは自分のために仕事をします。ほかの先生のことは知りません」
話にならないわ、と親たちはあきれて口くちにいった。
バクじいさん助けてください。わたしは正直にしゃべりました。おじいさんのあやまちを、わたしのものにしたら、そんなふうにしかいえなかったのです。おじいさん、わたしはまちがっていますか、おじいさん、教えてください……小谷先生は、じっと目をつぶった。
さすがにその日は、子どもたちの家をたずねる気はなかった。
鉄三ちゃんごめんね、きょう先生をなまけさせてね。

「11 くらげっ子」より

だいず
ぼくはこのシーンが好きなんだ。状況はまったく好転していないけど、小谷先生がはじめて自分の言葉で、自分の思いを正直につたえた。
ゆば
でもこれで保護者たちが納得するとは思えないよ。
だいず
たしかに納得してはもらえなかったね。でも小谷先生の姿勢によって、保護者の中に多くの味方も生まれていたんだ。
きなこ
言葉ってもどかしいなぁ…気持ちをぜんぶそっくりそのまま伝えられたらいいのにね。
だいず
そんな小谷先生に、鉄三もちょっとずつ心を開いていたんだ。
ほかの先生たちが見にくる研究授業で、小谷先生のクラスは「なに?」というテーマで作文を書いた。そのとき…。

小谷先生はさきほどから胸がどきどきしていた。鉄三がエンピツをもってなにかかいているのだ。なにげない顔をして、そっとのぞくと、鉄三はいっしょうけんめい文をかいていたのだ。
小谷先生はどうきがはげしくなった。
鉄三がエンピツをおくのを見とどけてから小谷先生はいった。
「できましたか」
「はーい」
おおかたの子どもは返事をした。
「だれのを読もうかナ」
小谷先生はまよっていた。はじめて鉄三が文をかいたのだから、それを読んでやりたい。でも、もしそれがわけのわからない文だったら、鉄三に恥をかかすことにもなりかねない。
どうしよう。小谷先生は頭がくらくらした。子どもを信じることだ、どこかでそんな声がした。そうだ鉄三ちゃんを信じよう。
「鉄三くんのを読みましょう」
小谷先生は鉄三の原稿用紙を手にとるといそいで眼をとおした。祈るような気持だった。

「ぼくわりとりとみたそれかだはこなかへりとりとみたあかいやつでたぼくわはながずんとしたさいらのんらみたいぼくわこころがずんとしたぼくはあかいやつすきこたにせんせもすき」

小谷先生は大きな声で読みはじめた。

「ぼくはじっとじっと見た。それから、はこの中までじっとじっと見た。赤いやつが出た。ぼくは鼻がずんとした。サイダーを飲んだみたい、ぼくは心がずんとした。ぼくは赤いやつがすき、小谷先生も好き」

小谷先生も好きというところへくると、小谷先生の声はふるえた。たちまち涙がたまった。たえかねて小谷先生はうしろを向いた。子どものだれかが手をたたいた。すると、あっちからもこっちからも拍手がおこった。拍手が大きくなった。足立先生も手をたたいた。折橋先生も手をたたいている。みんな手をたたいている。
教室は拍手で波のようにゆれた。

「21 ぼくは心がずんとした」より

きなこ
鉄三が…小谷先生のこと書いてる!しかも好きって!
ゆば
心のない人形みたいとか言われてたのに。
だいず
言葉を持たないからといって、心がないわけじゃない。鉄三の気持ちを乗せた「言葉」が、はじめて小谷先生のもとに届いたんだ。
きなこ
本当によかったね小谷先生!
ゆば
いい話だな…。
だいず
「教育」っていうのは、教科書の中身を教えることだけではないと思うんだ。人間としての居場所をつくること、そしてその作り方を伝えることが大切なんじゃないかな。
きなこ
そうだね。自分の気持ちを伝えることは、その人との関係の中に居場所をつくるってことなんだろうな。
ゆば
オイラもこんな先生と出会いたかったぜ。
だいず
そう思えたなら、きっとゆばくんがこういう大人になれるよ。ぼくらが、子どもたちの居場所をつくってあげられる大人になるんだ。
ゆば
そっか。気持ちを伝えることや、感じとることから逃げちゃいけないね。
だいず
そうだね。ぼくらは決して他の人の気持ちをカンペキに理解することはできない。けれど、理解しようとすることはあきらめちゃいけないと思う。
その心と心の接点になるのが、「言葉」なんだ。

 

 

だいず
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