『老人と海』ヘミングウェイ:たとえ戦果は無くとも、あなたの戦った過程こそが尊敬に値する。

だいず
今日は、海外で教科書に載るくらいに親しまれている小説『老人と海』を紹介するよ!
きなこ
教科書に載るっていったら、日本なら『ごんぎつね』とか、『少年の日の思い出』みたいな感じかな。
ゆば
そうかそうか、つまりこれはそんなお話なんだな。
だいず
『老人と海』は、小説でありながら心内描写が極端に少ない。何をした、何を考えた、という外面の描写ばかりで、主人公のサンチャゴがどんな感情なのかは読み手にゆだねられている。
きなこ
ほうほう、ちょっと変わってるね。
だいず
登場人物もとても少ない。しかし、描かれるのは老人サンチャゴによるハードボイルドな生き様。死と隣り合わせの男の世界だ。
ゆば
いいねぇ~ワクワクする!

 

 

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『老人と海』あらすじ

キューバの老漁夫サンチャゴは、長い不漁にもめげず、小舟に乗り、たった一人で出漁する。残りわずかな餌に想像を絶する巨大なカジキマグロがかかった。4日にわたる死闘ののち老人は勝ったが、帰途サメに襲われ、舟にくくりつけた獲物はみるみる食いちぎられてゆく……。徹底した外面描写を用い、大魚を相手に雄々しく闘う老人の姿を通して自然の厳粛さと人間の勇気を謳う名作。

Amazon紹介文より

だいず
かつては漁の名手だったサンチャゴ。だけど、彼はかれこれ84日間も不漁に終わっているんだ。
きなこ
それは悔しいだろうなぁ。
だいず
そんなサンチャゴを慕う少年マノーリン。かつてはサンチャゴと同じ小船で漁を習っていたけど、今は別の船で働いている。
それでもサンチャゴを心から尊敬し、毎日食事を持ってきたりと世話を焼いているんだ。
ゆば
いいやつだねマノーリン。きっとサンチャゴから大切なことを教わってきたんだな。
だいず
サンチャゴは年老いて、もう食事を摂るのもおっくうなくらい弱っている。それでも、いつものように一人きりで漁に出た。
しかしその日、今まで見たこともないような大魚が餌に食らいつく。サンチャゴと大魚の、長い長い死闘が始まるんだ。
きなこ
ダメだよサンチャゴ!?そんな状態で生きて帰れるの?

やつを引っかけたのは、ちょうど午(ひる)ごろだった」とかれはつぶやいた、「だのに、おれはまだやつの正体を拝んでいない」
魚を引っかける前に、かれは麦藁帽を深くかぶりなおしたのだが、ずっとそのままでいたので額が痛くなってきた。それに、ひどく喉がかわく。老人は膝をついた。綱を引っ張らぬように気をつけながら、へさきのほうへ這えるだけ這っていき、片手をのばして水瓶を引き寄せた。蓋をとって、水をほんのすこし飲む。飲み終ると、へさきに体をやすめた。かれは、船底に寝かしてあったマストと帆の上に腰をおろし、いまはただ耐え抜くこと以外は考えまいと努めていた。

(本文より)

だいず
サンチャゴは、大魚をとらえた綱だけは絶対に離さない。大魚にひっぱられて左腕をつりながらも、栄養をつけるために右手で鮪をさばき、皮ごとかぶりつく。
ゆば
ワイルドすぎんだろ爺さん。
だいず
手に汗握る戦いをぜひ読んでほしい。ただ、ぼくはこの話の結末についてちょっと語りたいんだ。だから、ここから先はネタバレになるよ!

 

 

だいず
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ここからはストーリーの結末について触れます。ネタバレ注意!

 

無条件の「敬意」の物語

だいず
死闘の末にサンチャゴは、大魚カジキマグロをモリで突いて仕留める。そして、小舟にくくりつけて港へと帰っていく。
きなこ
おーサンチャゴすごーい!ほかの漁師たちを見返せるね!
だいず
ところが、カジキマグロが垂れ流す血のにおいを嗅ぎつけ、鮫が現れて襲い掛かってくる。サンチャゴは一瞬のスキを突いて鮫を倒すが、大魚のしっぽの肉をほとんど食べられてしまうんだ。
ゆば
うわぁ…かわいそう。

老人は舷(ふなばた)から魚の方に手を伸ばし、鮫が食いちぎったあとをひときれむしりとった。噛んでみて改めて値打ちがわかる。とても味がいい。肉がしまっていて、しかもこくがある。牛肉のような味だ。しかし紅くはない。筋がぜんぜんない。市場に出せば最高の値段に売れただろう。が、いま、水のなかの匂いを消す方法はない。最悪の事態が近づきつつあることを、老人は知っていた。

(本文より)

だいず
大魚が垂れ流す血によって、さらに鮫を引き寄せてしまう。サンチャゴの抵抗むなしく、死闘の末に仕留めた大魚は、見るも無残に食いちぎられていった…。サンチャゴを乗せた小舟は、骨だけをくくりつけて港に帰ってきたんだ。
きなこ
報われないなぁサンチャゴ…。
だいず
疲れ果てて家で眠るサンチャゴ。その日も、いつものようにマノーリンが顔を出す。サンチャゴが無事に帰ってきたのを見て、涙を流すんだ。そして、いつものようにサンチャゴのためにコーヒーを買いに行く。

「また二人で一緒に行こうよ」
「だめだ、おれには運がついてない。運に見はなされちゃったのさ」
「運なんてなんだい」と少年は答えた、「運はぼくが持っていくよ」
「家のものがなんていうか?」
「かまうもんか。ぼく、きのう二匹とったよ。でも、これからは二人一緒に行こうね。ぼく、いろんなことを教わりたいんだもの」

(本文より)

だいず
この話は多様な読み方ができることで知られている。ぼくは、『老人と海』を敬意の物語だと感じた。
ゆば
マノーリンはサンチャゴを強く強く慕っているもんね。
だいず
それもそうなんだけど、サンチャゴも大魚に対して心から敬意を払ったうえで仕留めようとしている。ただの獲物ではなく、存在そのものに神秘性と畏怖を感じているように見えるんだ。
ぼくは、ここにマノーリンから見たサンチャゴも重なって見える。
きなこ
マノーリンにとっては、サンチャゴもそこにいるだけで敬意を払うべき存在なんだね。
だいず
サンチャゴは、結果として骨折り損だった。だけど、マノーリンはサンチャゴが何の成果も挙げていないとしても、最大限の愛と敬意をもってずっと待っている。
結果ではなく、サンチャゴが孤独に戦ってきた過程と、今でもそこに存在してくれることに感謝しているんだよ。
ゆば
ほうほう、深いね。
だいず
ぼくらは、どうしても結果に目を向けてしまう。ともすれば、そこに至るまでのプロセスには目もくれないかもしれない。
だけど、本当に尊敬すべきはそこに至るまでの努力の過程であり、成果はたまたま時の運だったりするんじゃないかな。
きなこ
なるほどねぇ~。ウチもゆっくり読んでみようかな。
だいず
もちろん解釈は人それぞれだ。「ぜんぶサンチャゴの夢だった説」とか、「サンチャゴの帰港はキリスト復活の象徴説」なんて読み方もあるらしい。
自分だったらサンチャゴにどのような思いが重なるのか、だれかと語り合ってみるのもいいだろうね。