『現代語訳 学問のすすめ』福澤諭吉(訳=齋藤孝):「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の意外な続きとは!?

きなこ
お札の肖像画が変わるみたいだね!
ゆば
「一万円札=諭吉」ってイメージが染みついてるから不思議な感じだなぁ。
だいず
福沢諭吉といえば、有名なのが『学問のすすめ』だね。どんな本か知ってるかい?
ゆば
えっと・・・学問をすすめる本・・・かな?
きなこ
そりゃそうでしょ!
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」って聞いたことあるよ。読んだことはないけど、「人間はみんな平等ですよ」って本だよね?
だいず
さすが!きなこちゃんよく知ってるね!
ただ、残念ながら諭吉の思想は「人間は平等である」というものではないんだ。むしろ、社会の中で人にはれっきとした違いが存在するというものだ。
きなこ
うそ!?じゃあ天はうんぬんってどういうことなの?
だいず
その書き出しには続きがあるんだよ。『学問のすすめ』は、ユーモアたっぷりで多くの人に親しまれながら、広い視点で世界をとらえているすごい本なんだ!

 

 

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現代語訳で親しみやすく、ユーモラスに社会を一刀両断!

近代日本最大の啓蒙思想家・福澤諭吉の大ベストセラー『学問のすすめ』。本書は歯切れのよい原書のリズムをいかしつつ、文語を口語に移した現代語訳である。国家と個人の関係を見つめ、世のために働くことで自分自身も充実する生き方を示した彼の言葉は、全く色あせないばかりか、今の時代にこそ響く。読めば時代情勢を的確に見極め、今すべきことを客観的に判断する力がつく。現代にいかすためのポイントを押さえた解説つき。

Amazon紹介文より

ゆば
現代語訳ってどういうこと?
だいず
『学問のすすめ』の原書は明治初期の文語体だから、現代のぼくらにはちょっと読みにくい。でも、福沢諭吉の文章はユーモアにあふれて勢いがあり、時代を超えるおもしろさがギュッとつまっているんだ。
だから、より多くの人に読んでもらうために現代の日本語に合わせて書き換えたのがこの本なんだよ。
現代語訳してくれたのは、以前にも紹介した齋藤孝さんだ。

『読書のチカラ』齋藤孝:多視点思考で不安や孤独に強くなる!読書で心に”賢者の森”をつくろう!

2019-04-06
きなこ
明治に書かれた本が、現代にも活かせるってすごい!
だいず
諭吉がすごいのは、文明開化であらゆるものが西洋化していく日本にいながら、それを一歩引いた場所から冷静に観察していたところだ。
西洋のものが無条件に優れているのではなく、日本にも優れたところが多くある。それぞれのいいところをハイブリッド化させて、よりよい日本をつくろうとこの本で世間に呼び掛けたんだよ。
ゆば
へー、当時そういうこと言うのはかなり大胆だったろうね。
だいず
じゃあいよいよ、有名な冒頭のフレーズの続きを読んでみよう!

 

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「学ぶか学ばないか」が人の違いを造る!

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。
つまり、天が人を生み出すに当たっては、人はみな同じ権理(権利)を持ち、生まれによる身分の上下はなく、万物の霊長たる人としての体と心を働かせて、この世界のいろいろなものを利用し、衣食住の必要を満たし、自由自在に、また互いに人の邪魔をしないで、それぞれが安楽にこの世をすごしていけるようにしてくれているということだ。
しかし、この人間の世界を見渡してみると、賢い人も愚かな人もいる。貧しい人も、金持ちもいる。また、社会的地位の高い人も、低い人もいる。こうした雲泥の差と呼ぶべき違いは、どうしてできるのだろうか。
その理由は非常にはっきりしている。『実語教』という本の中に、「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である」と書かれている。つまり、賢い人と愚かな人の違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのだ。

”初編 学問には目的がある”より

きなこ
本当だ!社会的地位には違いがあるって認めてる!
ゆば
その違いをつくるのは「学ぶか学ばないか」ってことか。
だいず
そうなんだ!「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は、アメリカ独立宣言の一部を引用したものだといわれている。
きなこ
えっ!諭吉のオリジナルじゃなかったんだ!
だいず
オリジナルではないかもしれないけど、当時は江戸時代が終わったばかり。アメリカ独立宣言の内容まで知っている諭吉の勤勉さたるや、敬服のきわみだよ。
ゆば
うーん、じゃあ地位を高めるためには学びましょうって諭吉は言いたいのかな。それだとさ、学べる環境に生まれなかった当時の貧しい人たちがかわいそうじゃない?
だいず
するどいね!たしかに、恵まれない生まれをした人には厳しすぎるかもしれない。
だけど諭吉は、「たとえ地位が違っても、どんな人にも人権がある」という意味で、人は同等の存在であると考えたんだ。
『学問のすすめ』は、社会的地位の違いはあると認めながらも、日本で初めて「基本的人権」について書いた本なんだよ。

人と人との関係は、本来同等だ。ただし、その同等というのは、現実のあり方が等しいということではなくて、権利が等しいということだ。
現実のあり方を見てみると、貧富や強弱や、知恵がある、愚かであるといった差が非常にはなはだしい。貴族だといって大きな家に住み、美食してぜいたくするものもいれば、力仕事をする労働者として、借家暮らしで今日の食べ物にも困るものもいる。勉強ができて役人となったり、商人となって天下を動かすものもいれば、知恵や判断力もなく、生涯飴や菓子を売るものもいる。強い力士もいれば、弱々しいお姫様もいる。
見た目は雲泥の差だけれども、その人が生まれつき持っている人権に関しては、まったく同等で軽重の差はない。つまり、人権というのは、ひとりひとりの命を重んじて、財産を守り、名誉を大切にするということである。
天がこの世に人を生まれさせるにあたっては、体と心の働きを与えて、この基本的人権を持つものとしたのだから、どんなことがあっても、人間がこれを侵害することはできない。大名の命も、力仕事をする者の命もその重さは同じである。豪商の百万両の金も、お菓子売りの四文の銭も、これを自分の財産として守る気持ちはいっしょである。

”第2編 人間の権理とは何か”より

ゆば
なるほど、どんな人にも人権があって、学ぶ権利もあるって言いたいんだね。
きなこ
大名も市民も命の重さは同じ。江戸時代にはとても口にできない思想だよね。
だいず
諭吉のすごいところは、彼自身は武士の生まれであるということ。つまり、生まれつき社会的地位が高かったんだ。それにもかかわらず、命の重さは誰でも等しいと説いたのは尊敬すべきだと思う。
実際に、諭吉は慶應義塾という学び舎をつくって、子どもたちに教育を与えるために奔走し続けた。「人権」という言葉も、諭吉がはじめて日本語に翻訳したものだといわれている。
きなこ
すごい人だね!
だいず
ほかにも、今では当たり前に使われている「社会」や「自由」という言葉も諭吉による翻訳だとされている。江戸時代にはなかった概念を、積極的に日本語の中に取り入れていったんだ。
ゆば
マジ!?今ではあまりにも普通に使われてるじゃん!
だいず
この本の中では、諭吉の思う「自由」についても語られている。そこを読んでいこう!

 

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自律して学ぶことが、新時代の「自由」を切り拓く!

だいず
発展した外国との差をまざまざと見せつけられた諭吉は、わが国では遠く及ばないことに危機感を募らせていた。明治維新を経ても、日本はまだ国としての体をなしていなかったんだ。

明治維新のときから、官にある人物たちが力を尽くさなかったわけではない。また、彼らの資質が劣っていたわけでもない。ただ、事をなすにあたって、いかんともしがたい原因があって思うようにいかなかったことが多いのだ。
その原因とは、すなわち国民の無知無学である。
政府はすでにその原因を知って、しきりに学術を振興し、法律作りを進め、新しい商売のやり方を指導している。ある場合には国民に説き、ある場合には政府自らが手本となるなど、ありとあらゆる手段を尽くしているのだが、今日に至るまで成果があがっているようには見えない。政府は依然として専制の政府、国民は依然として無気力な愚民である。

”第4章 国民の気風が国を作る”より

きなこ
外国に負けないように政府はグイグイ引っ張っていきたいのに、まだ国民はついてこられなかったんだね。
ゆば
乱暴に言っちゃえば、国民がバカで無気力なのが悪いってことかな?
だいず
まぁそういうことになるね。国民が無知無学であれば、おのずと彼らをコントロールするための決まりごとは厳しくなってしまう。つまり、無学であると「自由」を失っていくんだ。
諭吉は、それがさらなる悪循環を招いていると指摘する。

人は言うかもしれない。
「政府は、この愚民をコントロールするのに、一時的に強引なやり方をとっているだけで、後に知や徳が備わるのを待ってから、文明の領域に入らせようとしているのだ」。
この説は、理屈としてはともかく、実行は不可能である。
わが日本全国の人民は、非常に長い間、専制政治に苦しめられて、それぞれの心に思うことを表現することができなくなっている。人民は政府をごまかし、安全を手に入れ、いつわって罪を逃れようとする。ごまかしの術が人生必須の道具になり、不誠実なことが日常の習慣になっているのに、これを恥じることもなく、疑問を持つ者もいない。「わが身の恥」という感覚は、まったくなくなってしまっている。これでは国を思うなどという余裕などあるはずもない。
政府はこの悪習を改めようと、ますます権威をかさにいばり、おどし、叱りつけ、ムリヤリに人民を「誠実」にしようとしたが、かえって人民を不誠実に導くことになった。まるで火を使って火事を消そうとするようなやり方である。
その結果、政府と人民のあいだはますます離れてしまい、それぞれ独自の気風を持つようになった。その気風とは、英語でいうところの「スピリット(spirit)」であって、これをすぐに変えるということはできない。

”第4章 国民の気風が国を作る”より

ゆば
ふむふむ、ルールが厳しいとなおさらごまかすようになって、政府はもっと厳しくなっていくってことか。
きなこ
まさに「火を使って火事を消そうとする」って感じだね。
だいず
長い専制政治によって考える力を失った国民たちが、このままではさらに不誠実になってしまう。
諭吉は、「日本には政府はあるが、いまだ国民がいない」とまで言っているんだ。
きなこ
諭吉はこの状況をどうやって抜け出そうと考えたの?
だいず
ここで『学問のすすめ』というタイトルへと回帰する。政府に命じられるままの受け身の姿勢から脱却し、自ら学んで考える力をつけること。それが一人ひとりに求められていると訴えたんだ!

そもそも事をなすにあたっては、命令するより諭した方がよく、諭すよりも自ら実際の手本を見せる方がよい。一方、政府はといえば、ただ命令する力があるだけなのである。諭したり、手本を示したりというのは、民間でやることである。
だから、われわれが、まずしっかりと自分の立場に立ち、学術を教え、経済活動に従事し、法律を論じ、本を書き、新聞を出すなどして、国民の分を越えないことであれば、遠慮なくこれらを行い、法律をかたく守って正しく事に対処する。また、国の命令がきちんと実行されず、そのために被害をこうむったならば、自分の立場をおとしめることなくこれを論じて、政府に鋭い批判をする。古い習慣を打ち破って、国民の権利を回復させることが、いま現在、至急の要務なのだ。

”第4章 国民の気風が国を作る”より

きなこ
なるほど!今ある法律をコッソリごまかすんじゃなくて、政府を批判できるくらいに勉強しましょうってことなんだね。
ゆば
だから、学問を修めることが自由につながるんだな。
だいず
うん!一人ひとりが政府の手本となれるくらいに仕事と勉学に励むこと。それがコミュニティ全体の気風をつくっていくんだ。
きなこ
法律に文句ばっかり言ってても、何も変わらないもんね!
だいず
そうだね。諭吉は、たとえ悪法であっても決して破ったり、政府に反乱したりすることを認めない。
かといって、自分が苦しいのに黙って従い続けることも良しとはしない。
ゆば
んー?じゃあどうすればいいんだ?
だいず
上の引用にあるように、「自分の立場をおとしめることなくこれを論じて、政府に鋭い批判をする」ことだ。つまり、ルールに順守しながらも、自分の意見を主張してルールに働きかけていくことが諭吉の思う「文明の精神」なんだ。
きなこ
なるほど!
ゆば
なんかさ、それって国だけじゃなくて、学校とか、家族とか、いろんなコミュニティについて言える気がするよ。
だいず
ナイスな着眼点だね!そう、現代を生きるぼくらにも通じる大切な考え方だ。
ルールはガマンしたり、破ったりすることでは変わらない。ぼくらの人格を高めて、よりよいルールを作るために行動を起こすのが重要なんだ。そして、学問はそのための最強の武器になるんだ。
きなこ
ウチずっと、なんのために勉強なんてしなきゃいけないんだろって思ってた。けど、ちょっと考え方が変わったかも。
ゆば
オイラもだなぁ。ルールに文句ばっかり言ってもはじまらないな!
だいず
この本は引用したいところが多すぎて、困ってしまうくらいだ。齋藤孝さんは「最強のビジネス本」だと言っているけど、まさにその通りだね。
思わず笑っちゃうくらい親しみやすい本になっているから、ぜひ読みたい章から開いてみてほしいな!

 

 

だいず
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